アカデミー賞会場でのマイケル・ムーアのスピーチにおお!と思った人はいっぱいいると思うし、実際ボクもスゲー!と思った(3/24)んですが、Beltorchiccaの3/28付からリンクされてた米在住のReikoさんによる「ボーリング・フォー・コロンバイン」の問題点の指摘(ココの3/27付)を読んで、なんだか実際はうまくムーアに躍らされてるんじゃないかと思いました。
少し引用、、、

この人はドキュメンタリー映画は作っていません。実際にいる人々や場所、状況を大胆に編集して脚色したフィクションです。ドキュメンタリー“風”に撮っているだけです。商業的に成功したかもしれないけど、ドキュメンタリーではありません。

そうそう、そうなんですよね。
というか、ボクが「ボーコロ」観たときも実は似たようなこと書いてたのを思い出しました。

…ドキュメンタリーとは言え、まるでエンターテイメントのように巧みに編集してあって、終始苦笑してしまうような内容。
(中略)
この映画は「銃反対」の立場で描かれていて、宣伝やレビュウで見かけた「銃社会の現実をそのまま描いている」というのは間違いじゃないかと思った。ドキュメンタリーのかたちでいて実は作り手の考えが深く折り込んであるのは映画を観たものならまず気づくことで、なんともあざとい作りだなあ、なんて感じました…

という感じ(日々の泡1/25付)。
Reikoさんは「ドキュメンタリーではない」と、ボクは「いちおうドキュメンタリーなんだけどうまいこと編集されてた」と。ただ、個人的な観点からではなく中立的な立場からありのままの事実を伝えるのがドキュメンタリーであるならば、あきらかにこれはドキュメンタリーとは言えないわけで、そのへんにボクは気づいてなかったのかな、と。「ドキュメンタリーっぽい」としながら、完全に否定してなかった(まあこれを観たときはそこまで強く言いたいほどの映画とも思わなかったというのもあるけど)。
つまり、映画宣伝の戦略に基づいた宣伝文句にうまく躍らされてしまってた感じでしょうか。ドキュメンタリー賞なんてとってしまったから、余計に混乱してしまってるという気がしてならない。